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東京地方裁判所 昭和29年(行)47号 判決

原告 国

訴訟代理人 岩村弘雄 外二名

被告 中央労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告が中労委昭和二十八年不再第十三号及び第十四号不当労働行為事件について、昭和二十九年五月十二日附でなした命令を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二、請求の原因

一、訴外畠中菊次及び伊藤民次郎はもと原告に雇傭されていたいわゆる駐留軍労務者であつて、畠中は昭和二十六年十二月十三日以来、伊藤は同年九月十日以来、何れも機械工として在日米軍キヤンプ淵野辺オーデイナンス第八一八二部隊の小兵器修理工場に勤務していた。右部隊は昭和二十八年三月二日畠中を、同月七日伊藤を解雇する旨の意志表示をなしこれによつて原告との雇傭契約は終了した。同訴外人等は同月九日この解雇を労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であると主張し、神奈川県知事を被申立人として神奈川県地方労働委員会に救済を申立てたが、同委員会は同年六月十七日附で右各申立を棄却する旨の命令を発した。そこで同訴外人等は同年七月四日この命令に対し、被告委員会に再審査の申立をなしたところ、被告委員会は昭和二十九年五月十二日附で「一、初審命令を取消す、二、再審査被申立人は、再審査申立人畠中菊次及び同伊藤民次郎を原職又は原職同等の職に復帰させ、解雇から復帰に至るまでの間に右再審査申立人等が受くべかりし賃金相当額を支払わなければならない。」旨の救済命令を発し、この命令書写は同年五月二十三日右知事あてに送達された。

二、しかしながら本件命令は不当労働行為でないものを不当労働行為であると認定した違法がある。即ち命令は本件解雇が同訴外人等の活発な組合活動をきらつて、組合結成運動を阻止せんとするためになされたものであると認定しているが、本件解雇は左記理由によりなされたので、同訴外人等の組合活動と解雇との間には少しも因果関係はない。

(一)  畠中の解雇理由

畠中は作業妨行為、牒報、軍機保護のための規定違反行為をし、又はこれらのための企図若しくは準備をする者、或はアメリカ合衆国の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的且つ反覆的に採用し、若しくは支持する破壊的団体又は会の構成員と常に連繋しているため、アメリカ合衆国の保安上の利益に反して行動をなす者と認められるから、同人を日米安全保障条約に基き駐留するアメリカ合衆国軍隊の基地において継続して就労せしめることは、同軍隊にとつて危険であり、かつ脅威となるからである。(保安上の理由)

なお極東軍指令部内の保安委員会(思想問題について専門的知識を有する高級将校七名乃至十名をもつて構成する。)において軍によつて蒐集された資料によつて同人を保安上の理由により解雇するかどうかについて検討したところ、全員一致の意見により解雇すべき旨の決定をしたので、極東軍司令官はキヤンプ淵野辺の司令官に対して同人を二十四時間以内に基地外に排除すべき旨の命令を発した。この命令に基づき同キヤンプの労務連絡士官は本件解雇を行つたのである。右保安委員会においては諸資料が完全に一致し、委員会の構成員のうち一名の反対者もない場合にのみ保安解雇の決定をすることになつている。又同委員会に提出される資料は保安上のものに限られ、組合活動に関する資料等は提出されない。従つて解雇の決定について労務者の組合活動が考慮される余地はない。

(二)  伊藤の解雇理由

伊藤は昭和二十八年二月の病気欠勤中に(1) 十四日午後五時頃組合事務所において組合事務に従事し、数名の組合員に金融に関する証明を与え、(2) 十七、十八、二十日開かれた組合の臨時委員会に出席し、(3) 二十二日開かれた臨時組合大会に出席した。

同人は極めて病弱であつて、昭和二十七年十月中に五日間、同年十一月中に五日間宛二回、昭和二十八年一月中に十日間、同年二月中に二十六日間、同年三月は解雇に至るまで全期間病気欠勤し、出勤常ならざる状態にあつた。病気欠勤中は給与全額の支給を受け得ることからしても、駐留軍労務者としては好ましい状態でなかつたが、それは兎も角病気欠勤中に専心療養に努めず、他の機関の作業に従事することは、雇傭契約上の義務に違反する不信義の行為というべく、かかる行為が是認されるときは、同僚間に秩序違反の風潮を助成し、労務管理上極めて悪影響を及ぼすからである。

三、命令書理由(再審査申立人等の解雇)記載の事実に対して、伊藤が昭和二十七年十一月上旬ペインター・シヨツプ自動車洗工に配置換えされたことは否認し、その余の事実は認める。

四、命令書理由(再審査申立人等の組合活動)記載の事実に対して。

(一)  冒頭記載の事実中、伊藤が昭和二十六年十月調査部長に、昭和二十七年四月厚生部長に、畠中が昭和二十七年四月組織部長に選出されたことは不知、講和条約発効以前は特に見るべき組合活動がないこと及び同人等が淵野辺労働組合(以下単に組合という)の執行委員となつてから、組合活動が逐次独自のものとなつたことは否認し、その余の事実は認める。講和条約発効以前においても組合活動は活発であつたし、同人等が執行委員となつてから特に組合活動が活発になつたではない。

(二)  イの事実中、畠中が昭和二十七年十一月小兵器工場班長たる資格において伊藤を含む五名の給与の是正について監督者と交渉し、結局拒否されたこと及び畠中、伊藤がこの問題について共に活動したことは認めるが、その余の事実は否認する。

右給与是正問題は、組合大会又は組合執行委員会の決議によつて取り上げられたものでなく、単に畠中が班長としての資格で自己の班員(当時七名)の一部の者の給与引上に尽力したに過ぎない。従つて組合の行為ではない。又班長が班員の給与問題について尽力することは他の職場でも通常見られることであつたから、このために畠中が特に米軍側の注目を浴びるに至つたようなことはない。又本件命令は伊藤がこの活動のためにペインター・シヨツプ自動車洗に配置換されたように認定しているが、駐留軍労務者を正式に配置換する場合は、軍から労管に通知があり、労管は新たに配置換の辞令を出して新職種に応ずる賃金を決めるのである。伊藤外三名の場合はこのような正式の手続によつたのではなく、小兵器修理工場の仕事が暇であつたため、臨時に隣の作業所であるペインター・シヨツプにおいて作業させられたに過ぎない。これは仕事の繁閑に応じ軍が随時実施していたところであり、正式の配置換ならば兵器修理工より自動車洗工の方が賃金は低いのであるから、同人等の賃金は減少する筈であつた。又伊藤のみならず、他の三名の班員(川名幸雄、笹野政二及び藤岡保彦)が共に臨時作業を命じられたことを見ても、特に伊藤が給与問題について活動したためこのような措置をとられたものでないことは明かであろう。右三名は組合役員ではなく、又給与問題にも何ら活動していない。又直接交渉に当つた畠中はその後も依然小兵器修理工場班長として勤務していた。

(三)  ロの事実中、自動車修理工場班長が独断で職場員に対し試験を行い、不成績者を解雇しようとしたこと及び畠中が班長排斥運動に積極的に活動したことは争うが、その余の事実は認める。

班長排斥運動から大熊の解雇に至るまでの経緯は次の通りである。右工場の成績が不良で軍から注意があつたので、班長は副班長四名と協議の上、班員に対し試験を行い成績不良者を再教育しようとしたが、その頃班員から班長の非行を挙げてこれを排斥しようとする運動が起つて職場に混乱を生じた。そこで軍及び労管は協力してその真相の調査に当つたのであるが、結局同班長の非行のあることは明かにされなかつたので、今後同種の紛争の生ずるのを防止するため、班長と排斥運動の中心人物たる大熊を配置換することとした。このような事情により、班長はサービスセクシヨン班長に配置換され、又大熊をキヤンプ富士の職場に配置換しようとしたが、同人は同職場に赴くより職場を辞することを希望したので、退職手当の支給等において有利に取り扱われ軍の都合によるという理由で解雇された。又本件命令は畠中は組合執行委員として大熊を援助し、労管との団体交渉等に積極的に活動したと認定しているが、団体交渉等に積極的に活動したのは執行委員全部であり、就中自動車修理工場の班員且つ執行委員であつた篠崎及び吉川等の活動は畠中のそれに比して遙かに活発であつたが両名は現在も引続き勤務している。労管と組合との団休交渉において何人が如何なる活動をしたか等ということは労管から軍に通報されるものではないし、又軍がこれを知り得る筈もないのであるから、かかる行為が本件解雇の動機となることは全くあり得ないのである。

(四)  ハの事実中、特調労連と関係当局(調達庁)との間に命令書記載の事項について交渉があつたが妥結せず、特調労連が傘下各組合に対し昭和二十七年十二月十一日ストライキに入るよう指令を発したこと。同日のストライキは見送られ同月十七日第二波のストライキの指令があつたが、福山組合長から軍に対しストライキ不参加の通知があつたこと。同日ストライキが決行されこの際畠中及び伊藤が活躍したこと及びソロモン大尉が従業員を輸送するため軍用トラツク十二台を指揮して駅前に来たことは認めるが同月十一日ストライキが見送られるに至つた経緯並びにその余の事実は不知。

ソロモン大尉が軍用トラツクを指揮して淵野辺駅前に来たのはストライキを阻止するためではなかつた。軍及び労管は福山組合長からのストライキ不参加の通知により同月十七日朝までは同日のストライキは見送られるものと考えていた。部隊司令官ソロモン大尉は他の組合が一斉にストライキを決行するのにも拘らず、独り淵野辺駐留軍労働組合のみがストライキに参加しないことを大いに喜び、この行為に報ゆるため全従業員をトラツクで輸送しようとして駅前に来たのである。又本件命令は畠中及び伊藤がこのストライキに際し大いに活躍したように認定しているが、それは同人等のみのことではなく、十数名の斗争委員も同様の活躍をしたのであるから、同人等のみが特に軍から注目されることはあり得ないのである。

(五)  この事実中、小兵器修理工場の従業員がストライキにおいて最も積極的であつたことは否認し、畠中が職場大会において職場斗争委員長に選ばれたことは知らないが、その余の事実は認める。

部隊が小兵器修理工場及び自動車工場の全員に対し就業を拒否したのは、ストライキ当日(十七日)労務者の代りに部隊の兵が右工場で作業し職場が混乱したため、これを整理する必要があつたからである。又就業を拒否された全員が即時労管に来て就業方の交渉をなし、労管が直ちに軍に交渉して問題が落着するに至つたものであつて、職場斗争委員又は斗争委員長のみが労管との交渉に当つたのではない。又この交渉は畠中等と軍との間に行われたのではないから、何人が如何なる活躍をしたか等ということは軍が知り得る筈はない。

(六)  ホの事実中、ストライキ後、輸送用トラツクが削減されたことは認めるが、ストライキ不参加者のみ乗車を許諾されたことは否認し、その余の事実は不知。

ストライキ後、乗軍を許諾されたのは事務所及び警備関係等の労務者であつて、これらは特に出勤時間を厳守する必要があつたからで、この乗車につきストライキ参加者とその他の者との間に差別的取扱をしたことはない。

(七)  ヘの事実中、ストライキ後、淵野辺駐留軍労働組合と部隊側とに特に摩擦がなかつたこと、二月二十二日組合臨時大会が開かれたこと及び三月十二日キヤンプ淵野辺労働組合が結成され畠中がその執行委員となつたことは認めるが、その余の事実は不知。

五、労働委員会の審理において主張しなかつた事実を訴訟において新たに主張することは許されないとの被告主張に対して。

労働委員会の審理における原告の答弁の趣旨は、本件解雇が根拠のある理由に基くもので不当労働行為ではないというのであり本訴請求原因は、本件解雇の理由を根拠のないものと排斥し本件解雇を不当労働行為であると判断した命令は違法であるというのである。労働委員会の審理における答弁の趣旨と本訴請求原因との間には少しも変更がないのであり、原告は本訴において右主張の理由となる事実を詳細に且つ具体的に述べたに止まり、別個な事実を主張しているものではない。仮にこれを新たな主張としても、訴訟において労働委員会の審理に当つて主張しなかつた事実又は提出しなかつた証拠を新たに主張し又は提出することは少しも妨げられないのである。けだしこれを制限するためには私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第八十条及び第八十一条の如き特別の規定が必要であるのに、労働関係諸法規にかかる規定は存在しない。又労働委員会は労使間の争ある法律関係について、前審として審理判断をなし得るに過ぎず、その終局的な判断は裁判所の専権に属するのであるから、訴訟においては労働委員会の審理において主張したと否とを問わず、一切の攻撃防禦方法の提出が是認されなければ、当事者の権利の保護が十分になされない。のみならず労働委員会の審理は被告の自認するように当事者の主張に拘束されず、職権で事実及び証拠を調査してこれを命令の基礎資料となし得る。即ち当事者の主張及び提出する証拠のみによつては申立が理由のない場合でも、職権をもつて調査した資料によつて申立が理由のあるものと認められればその申立を認容しなければならないし、その逆の場合も同様である。従つて労働委員会の審理の段階において当事者が主張しなかつた事実又は提出しなかつた証拠によれば命令の判断が誤つている場合は、該命令は違法であるから訴訟においてこれが取消を求めるためこのような事実を主張し又は証拠を提出できるのは当然である。

六、以上述べたように本件命令は事実誤認に基く違法なものであるから、この違法な命令の取消を求める。

第三、被告の答弁

一、主文同旨の判決を求める。

二、請求原因第一項の事実は認める。しかし本件命令及びその前提となる事実の認定ないし法律上の判断については、原告が請求原因第二項以下に主張するような違法の点はなく、この点についての被告主張は別紙命令書写理由中に記載されている通りである。

三、原告主張事実のうち、第二項(一)畠中の解雇理由、第四項(二)中「駐留軍労務者を正式に配置する場合は、とある部分以降同人等の賃金は減少する筈であつたまで」同項(三)中「右工場の成績が不良で軍から注意があつたので、以降成績不良者を再教育しようとしたがまで」同項(四)中「軍及び労管は福山組合長からのストライキ不参加の通知により以下全部。」同項(六)中「ストライキ後乗車を許諾されたのは以下全部。」は被告委員会の審査においても、初審神奈川県地方労働委員会においても主張されなかつた事実である。そして原告は右のような新たな事実をあげて被告委員会の事実認定を攻撃しているが、本件行政訴訟においてはかかる主張は不適法である。なんとなれば原告のこのような態度を容認すれば使用者は労働委員会の審査において事実の全部又は一部を黙秘し行政訴訟の段階に至つてはじめてこれを主張立証して労働委員会の処分を覆し、もつて命令の確定を遅延させることができるのでかかることは現行不当労働行為制度の本旨を無視するものだからである。労働委員会の処分は労働委員会の審査において適法に審査認定された事実に基くべきであつて、当該審査において主張されなかつた事実は、職権による場合を除きこれを処分の基礎にとることはできない。従つて労働委員会の処分を行政訴訟において攻撃しようとすれば、当該事件の審査において原告はかくかくの事実を主張し、それについてかくかくの立証を行つたにかかわらず、これを容れなかつたという点を攻撃しなければならない。

第四、証拠

原告は甲第一ないし第十四号証(甲第一、三、四号証は写)を提出し、証人箱島勇、檜垣稔、河村卯太郎、高橋哲英、松原富郎、菊地水雄の各証言を援用した。

被告は乙第一号証の一ないし二十七、第二号証の一ないし九、第三号証の一ないし三十八、第四号証の一ないし十四、第五号証の一ないし十九、第六号証の一ないし二十を提出し、証人畠中菊次、伊藤民次郎の各証言を援用した。

原告は乙第一号証の四、八ないし十四、十六ないし十九の畠中菊次作成部分の成立を認め、その余の成立は不知。乙第三号証の四、十三ないし十六、乙第五号証の三ないし六、八、九の伊藤民次郎作成部分の成立を認め、その余の成立は不知、乙第三号証の六、十七及び乙第五号証の七、十一の成立は不知、その余の乙号各証の成立を認めると述べ、被告は甲号各証の成立を認め、甲第一、三、四号証の原本の存在を認めると述べた。

理由

一、畠中菊次及び伊藤民次郎はもと原告に雇用され(その法律関係は私法関係)、事実上の使用者は駐留軍であるところのいわゆる駐留軍労務者であつて、畠中は昭和二十六年十二月十三日以来、伊藤は同年九月十日以来何れも機械工として在日米軍キヤンプ淵野辺オーデイナンス第八一八二部隊の小兵器修理工場に勤務していた。ところが部隊は昭和二十八年三月二日畠中を、同月七日伊藤をそれぞれ解雇する旨の意思表示をなし、これによつて原告との雇傭契約は終了した。即ち畠中については同年三月二日部隊から直接「保安上の理由」及び「本人の責に帰すべき重大な理由」に基き即時解雇を言い渡された。又伊藤については同年三月六日座間の軍上級機構に属する労務士官ミユラー大尉からA、本人は十六日間の家庭休養治療を要するとの医師の診断書のもとに病気休暇をとつた。B、この期間本人は組合の集会に数回出席しており、かつ一度淵野辺労働組合の事務所の作業を積極的に援助した。C、かかる彼の行動は規則及び病気休暇必要という精神に違反する。D、かくの如き歴然と規則に違反しているとみなされる行動は同僚間に気まずい感情を起させるという理由で懲戒解雇通知を受けたのである。そこで両名は同月七日この解雇を労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であるとして、神奈川県知事を被申立人として神奈川地方労働委員会に救済を申立てたが、同委員会は同年六月十七日付で右各申立を棄却する旨の命令を発した。同人等は同年七月四日この命令に対し被告委員会に再審査の申立をなしたところ、被告委員会は昭和二十九年五月十二日附で「一、初審命令を取消す。二、再審査申立人畠中菊次及同伊藤民次郎を原職又は原職同等の職に復帰させ、解雇から復帰に至るまでの間に右再審査申立人等が受くべかりし賃金相当額を支払わなければならない。」旨の救済命令を発し、この命令書写は同年五月二十三日右知事宛に送達された。

以上の事実は当事者間に争がない。

二、被告代理人は、原告が労働委員会の審査において主張しなかつた新たな事実を本件訴訟において主張し、被告委員会の事実認定を攻撃するのは不適法であると抗争するので先ず此の点につき考える。

労働委員会が不当労働行為事件に関してなす処分はいわゆる準司法機関としての権限に基くものと解すべきであるが、使用者が労組法第二十七条第六項の規定に基づき中央労働委員会の発した命令に対して行政事件訴訟特例法の定めるところにより訴訟を提起して争う場合には裁判所は右命令について手続上の瑕疵の有無はもとより事実認定又は法令の解釈適用等の当否を審査するものであつてこの場合の事実認定は労働委員会のなした事実認定に拘束されることなく独自の権限に基いてこれをなし得るものと解するのが相当である。

蓋し裁判所のなす事実認定が労働委員会のなしたそれに拘束されるとするには、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第八十条ないし第八十二条のような明文によつて別段の規定のあることを必要とすると解すべきであつて、このような規定が労働組合法その他の法律に見出せない以上、労働委員会の命令においてなされた事実認定に拘束さるべき理由はないのである。従つて裁判所は一般の行政処分の適法であるか違法であるかを判断する場合と同様に労働委員会の審査の過程で提出されなかつた訴訟当事者の新たな主張と証拠の提出は許容さるべきであり、その証拠調の結果により事実の認定をなし労働委員会のなした事実認定の当否を判断し得ると解するのが相当である。よつて右に反する被告の主張は採用しない。

三、次に被告委員会が本件解雇は畠中、伊藤の新組合の結成ないし組合活動の故になされた不当労働行為であると認定したのに対して、原告はこれを争うので此の点につき検討する。

(一)  畠中、伊藤の勤務するキヤンプ淵野辺には、同所に勤務する駐留軍労務者(講和条約発効当時約四三〇名を以て組織する淵野辺駐留軍労働組合が組織され、この組合は特別調達要員労働組合連盟(以下特調労連という)に加盟しており、両名はいずれもこの組合に属し、畠中は昭和二十七年四月執行委員に、伊藤は昭和二十六年十月及び昭和二十七年四月にそれぞれ執行委員に選出されたことは当事者間に争がない。

成立に争のない乙第二号証の一、乙第六号証の二及び証人畠中菊次、伊藤民次郎の各証言によれば、伊藤は昭和二十六年十月組合の調査部長に選出され、昭和二十七年四月には畠中は組合の組織部長に、伊藤は厚生部長に選出されたが、昭和二十七年四月講和条約発効当時の組合長福山は親陸を目的として通訳班長マネージヤー等で構成され活動方針も組合とは異つている相模原勤労者協会の理事長を兼ねており、組合として目立つた活動はなかつたので、両名は執行委員となつてから組合活動の自主性を主張して右協会の事務所内にあつた組合事務所を他に移転する機運をつくつたことが認められる。右認定に反する証人松原富郎の証言は措信しない。

(二)  昭和二十七年十一月畠中が小兵器工場班長の資格で、伊藤を含む五名の給与の是正について職場の直接監督者ギデスコ中尉及びフローライン曹長と直接交渉したが、結局隊長ソロモン大尉から拒否されたこと及び畠中、伊藤がこの問題について共に活動したことは当事者間に争がない。

成立に争のない乙第六号証の五、十三及び前記畠中、伊藤証人の各証言によれば、右給与是正問題は畠中、伊藤両名が職場の従業員にはかつてなしたのであつたが、それから二、三日後伊藤は他の三名と共にペインターシヨツプに移され、ペーパー磨き、自動車の水洗等の屋外作業に従事させられ、畠中はそれ迄駐留軍の兵隊から班長として信任されていたが、次第に遠ざけられるようになつたことが認められる。

(三)  昭和二十七年十一月下旬、小兵器工場に隣接する自動車修理工場に於て、職場員の間に班長排斥運動が起り、その中心人物となつたのは同職場の副班長で執行委員の大熊顕正であつたが、結局福山組合長らのとりなしもあつたけれども、右班長は他の職場に移され、右大熊は人員過剰の故をもつて解雇されたことは当事者間に争がない。

成立に争のない乙第二号証の二、七、乙第六号証の二及び畠中証人の証言によれば、当時寺尾班長が独断で自動車修理工場の全員に試験をして成績の悪い者は解雇されるであろう。又班長にとりいつた者には問題が教えられる等の噂があつて職場内から班長追放運動が起つたので、組合もこれをとりあげ畠中は伊藤その他の執行委員と共に労管と交渉に当つたことが認められる。

(四)  昭和二十七年度秋より特調労連は、二一、四一〇円ベースへの値上げ、日米労務基本契約の改訂、退職金の現金化等を要求して関係当局と交渉を重ねてきたが妥結をみるに至らず、傘下各組合に対して同年十二月十一日ストライキに入るよう指令を発したこと、同日のストライキは見送られ、次で同月十七日第二波のストライキの指令がなされ、福山組合長から軍に対しストライキ不参加の通知がなされたけれども、同日ストライキが決行され、その際畠中、伊藤が活躍したこと及び部隊側ソロモン大尉が従業員を輸送するため軍用トラツク十二台を指揮して駅前に来たことは当事者間に争がない。

成立の争のない乙第一号証の六、第二号証の六ないし八、乙第六号証の二、三及び畠中、伊藤証人の各証言によれば、畠中はストライキ当日朝六時から八時半まで淵野辺駅前で組合員に対しスピーカーでストライキ決行、団結につき宣伝、呼掛をしたが、その間隊長は同人を目撃し、部隊側で写真をとつたこと及び伊藤は上部団体との情報連絡に当つたことが認められる。

(五)  ストライキの翌日(十八日)他の職場は通常の業態に復帰したが、部隊小兵器工場及び自動車修理工場の全員九十名に対しては部品不足という理由で就業を拒否し、職場への立入を禁止したこと、この職場の代表たちはこの措置を不当とし、労管に対して抗議した結果十八日は休業とし、賃金の六〇%に当る休業手当が支払われかつ翌十九日から両職場共平常通りに就業することで問題は落着したことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第一号証の五、乙第二号証の二、六及び畠中証人の証言によれば、畠中は右労管との交渉に当り、職場から斗争委員長に選ばれたことが認められる。

原告は就業を拒否したのはストライキ当日労務者の代りに部隊の兵が右工場で作業し、職場が混乱したので整理の必要があつたからであると主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。

(六)  従来淵野辺駅と職場との間に運転されていた労務者の輸送用トラツクが右ストライキ後削減されたことは当事者間に争がなくこの事実と成立に争のない乙第一号証の七及び証人畠中菊次の証言によれば、右ストライキ後一月位の間輸送用トラツクが二台から一台に減らされこれにストライキ不参加者のみ乗車させたこと、昭和二十八年二月機械工場の米軍の兵隊は同工場に立寄つた畠中を指して同所勤務の日本人労務者に対し、畠中はストライキの扇動者であるから彼の職場の者をこの職場に入れてはならない旨の話をしたことが認められる。右認定に反する証人松原富郎の証言部分は措信しない。

(七)  ストライキ後組合と部隊側とは特に摩擦がなかつたこと、昭和二十八年二月二十二日組合臨時大会が開かれたこと、同年三月十二日キヤンプ淵野辺労働組合が結成され、畠中がその執行委員となつたことは当事者間に争がない。

成立に争のない乙第二号証の二、六、乙第六号証の二、三及び畠中証人の証言によれば、さきのストライキを契機としてストライキに反対した福山組合長の一派とストライキを強力にすすめた畠中伊藤等の一派との間の対立がいよいよ深まり、執行部の統一がとれなくなつて同年十二月末執行部は辞職したので淵野辺労働組合の活動は一時停止したこと、これに対して畠中、伊藤は有志と共に組合の再建をはかり、結局新組合を結成するに至つたことが認められる。

(八)  以上に認定した事実によれば畠中、伊藤両名は活発に組合活動をなしたものであるが使用者の駐留軍側は必ずしも組合活動に対して理解を有せず、両名を嫌つていたのであつて、後に原告の主張する右両名の解雇理由について説明するように軍側の取りあげた解雇理由によつては一般的に解雇されても已むを得ないと首肯するに足りないところと併せ考えると、本件解雇は駐留軍側が両名の組合活動を理由としてなした不当労働行為であると推認するのが相当である。

そして原本の存在及び成立に争のない甲第四号証(いわゆる役務基本契約)の条項によれば米国駐留軍の労務者に関しては日本国が雇傭主であるけれども駐留軍の労務に服させるものであつて、その雇入及び解雇は挙げて駐留軍の決するところに委されていることが認められるので、労務者の使用者は駐留軍であり、労務者の解雇については雇主たる日本国が駐留軍に委任したものと解するのが相当であるから、駐留軍のなした解雇が不当労働行為に当るときは、その不当労働行為について日本国がなしたと同様に取扱われその責任を免れることはできないものといわなければならない。

もつとも右の点について原告代理人は駐留軍が畠中を解雇するについては極東軍司令部内の保安委員会において軍によつて蒐集された資料に基づき合衆国の保安上の利益に反して行動をなす者と認定し、その理由によつて解雇の決定をなし、極東軍司令官はキヤンプ淵野辺の司令官にその旨命令し同キヤンプの労務連絡士官はこの命令に基づいて解雇をなしたものであり、右委員会に提出される資料は保安上のものに限られ労働組合活動に関する資料は提出されないのであるから解雇の決定について労働者の組合活動が考慮される余地はないと主張する。然しながら保安委員会に提出される資料が保安上のものに限られ組合活動に関する資料が提出されないとの事実はこれを認むべき証拠がないばかりでなく、特別の事情のない限り当該労働者の人物思想行動等を判定するため軍によつて蒐集される資料はその組合活動を含む広範囲のものと推認するのが相当であつて、特別に組合活動に関する資料が除外されていると考えるべき根拠はない。そればかりではない。前記の通り畠中の組合活動を直接諒知している軍側の関係者は隊長のソロモン大尉とその部下であるが、調査を行つた同キヤンプの労務連絡士官は特段の事由のない限り右直接関係者を通じて畠中の組合活動を知つているものと認めるのが相当であるから畠中の解雇命令が部隊の上部機関から発せられたことだけでは軍側の不当労働行為意思を否定することはできない。

四、次に原告の主張する畠中、伊藤の解雇理由について検討する。

(一)  原告は畠中の行動は駐留軍にとつて保安上危険かつ脅威となると主張するけれども、成立に争のない甲第一、二号証(甲第一号証は原本の存在についても争がない)及び証人菊池水雄の証言によるも、畠中の解雇は米国極東陸軍司令部が保安上害ありとして決定したもので、その決定はいわゆる保安解雇を審査する特別機関の審議に基くものであるが、その認定資料及び具体的事実は米軍の軍機保護上原告側には呈示されなかつたことが認められるに過ぎない。而して畠中の所為が米軍の保安上有害であるとの右特別機関の審議決定あるの一事によつて保安上有害の事実を推認することはできないし、その他に右解雇理由の具体的事実を認むべき証拠がないから、原告の主張はこれを採用するに由ない。従つて畠中の本件解雇の決定的理由がいわゆる保安解雇であるということができないので右解雇が不当労働行為であるとの前記認定を覆えすことはできない。

(二)  原告の主張する伊藤の解雇理由について考察するに、成立に争のない乙第四号証の十、十一及び証人箱島勇、檜垣稔、河村卯太郎の各証言によれば、伊藤は(イ)昭和二十八年二月十四日頃の午後四時半から五時頃迄の間に組合事務所において箱島、檜垣両名の求めにより組合から金融を得るために必要な用紙を交付したこと、(ロ)同年二月中に組合事務所で行われた組合の臨時大会開催に関する準備委員会に出席したことが認められる。右認定に反する畠中、伊藤証人の各証言は措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

次に証人伊藤民次郎の証言によれば、同人は(ハ)同月二十二日(日曜日)の組合臨時大会に二、三分間出席したことが認められる。

そして伊藤は同月三日以降解雇された同年三月七日まで病気欠勤中であつたことは当事者間に争がないところであるが、原告代理人は伊藤は病気欠勤中であるので専心療養すべき雇傭契約上の義務あるのに拘らず右のような所為に出たのは、義務に違反し甚しく不信義であると主張する。

然しながら伊藤証人の証言によれば、組合事務所は伊藤の自宅から医師に赴く途上にあるため、伊藤は病気欠勤中右医師の診察を受けて帰る途中僅かの時間組合事務所に立寄つたものであつて格別の組合業務に従事したものでないことが認められる。この点について伊藤が「ガリ版」ずり等をなし組合業務をなした趣旨の証人高橋哲英の証言は措信しない。してみれば伊藤の右所為は組合の活動に関心を寄せた余り組合事務所に僅かの時間立ち寄つたものに過ぎないのであるから、これをもつて療養に専念すべき義務に背き不信義の行為と断じ難く、従つて右の所為が解雇の決定的理由であるとはとても首肯できないので本件解雇が不当労働行為であることの前記認定を覆えすことはできない。

五、以上に判断したように畠中、伊藤に対する本件解雇は不当労働行為と認定すべきであるから、被告委員会が前記のような命令を発したことは相当であつて、右命令の取消を求める原告の本訴請求は失当である。よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 高橋正憲)

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